コラム:第7回日本詩吟協会芸術祭典「蝉しぐれ」を鑑賞して

 令和4年10月8日、第7回日本詩吟協会芸術祭典が、東京都墨田区の曳舟文化センターで開催されました。その舞台について、感想を加えて報告したいと思います。

 今回私は、舞台出演はしませんでした。嘗て数年前の芸術祭典では、病床から、まだ回復の途中であったにも拘らず仲間に支えられての出演参加した私が、今回出演しないで客席から観賞することにしたのには、二つの思いがあったからでした。この発表の前の早い内から、出演する皆さんの大きな気力が感じられ、それは、これまでの通常パターンの、自分の吟じたいものを希望して参加するというのではなく、吟詠ドラマの一キャストとしての意気込みと責任全うの心が組織の中に漂い、それは次第に膨らんでいくことを感じました。このような構成物では、独りの失敗が全体の失敗につながる危険があり、稽古に十分参加できないことがその一つでした。もう一つの訳というのは、出演者に不都合が生じた場合、その補欠の役を考えたからの事でした。それが、この大きな舞台を成功させるための、協会の顧問としての役目だと考えたからでした。

 そういう思いをもって当日会場の座席から鑑賞した私でしたが、補欠としての出演も生じず、日本詩吟協会の一致団結して作り上げた「蝉しぐれ」には、実に感動させられました。

 まず一番の感動はアニメーション映像でした。これまでの吟詠芸能の長い歴史の中で、吟詠は個人の技量をもって、或いは協調し合い、また或いは競い合いながら舞台を作ってきました。しかし、異口同音、皆が口にする吟詠芸能への思いは、我々が愛するこの吟詠芸能をこれからどうするか、盛んにするための工夫が必要だということです。このところ、海老澤宏升先生の演出作品には、アニメーション映像が登場しますが、今回の「蝉しぐれ」の吟詠ドラマの発表にも、美しいアニメーション映像が大きな効果を感じました。

 私自身、舞台芸術については、出し物をどのように演出して内容を訴えるかということを考えて多くの発表を楽しんできましたが、海老澤先生の舞台演出には、このアニメーション映像の登場のように、吟詠のマイナーイメージをメジャーイメージにする、憎いほどの工夫があります。このような、他の者が真似できない素晴らしい舞台演出を、私は秘かに「海老澤マジック」と呼んでいます。

 そして物語の内容についての感想です。脚本は岡村心蒼理事長でした。私は小さい文字に弱く、原作の「蝉しぐれ」には、目を通すこともできず、当日の舞台発表のみで内容を知りました。どこまでが原作通りか。許される範囲での脚色上の書き換えもあると思いますが、主人公平四郎の父の無念と、親を思う平四郎の優しさが、会場観客の心をよく捉え、素敵な吟詠ドラマが繰り広げられました。そしてふくとの恋。幼い頃からの心奥の思いと、手に届かなくなった所へ行ってしまった運命の儚さ、そして心を通わせての一度の結びつき、この場面では、私も涙が出ました。芝居を見て感動するのは、誰にも似たような経験があるからでしょう。そして、その自分の経験は、このような一度の結びつきとは行かなかったことでしょうし、そのクライマックスの一コマは、すべての観客の心に深く残りました。

最後に出演者の皆様へのメッセージです。皆様本当に素晴らしかったです。どのくらいの回数のお稽古をされたかは判りませんが、本当に素晴らしい吟詠発表でした。私自身、自分の吟詠には個性重視で吟じますが、皆様は、個性を抑えて調和のとれた吟詠でした。全体調和を重視した、日誌協の強い団結を見ました。

海老澤名誉会長と岡村理事長の息の合った創作作品は、日誌協の宝です。一発の打ち上げ花火で終わることなく、出演者を交代しながら、発表しましょう。次回は私も出演させていただきたいと思います。