寄稿文「文部科学大臣賞に輝いて!岩田裕美」

この度は、文部科学大臣賞という栄誉ある賞を頂き、大変光栄に感じております。大会役員の先生方、審査員の先生方、大会運営に関わって下さったすべての皆様に感謝申し上げます。

私が詩吟と出会ったのは、二十代の頃に大阪で演劇をしていたのがきっかけです。当時は役者としてプロフィールを書く機会が多かったのですが、毎回「特技」の欄で手が止まっていました。得意なことなら何でも良いわけではなく、プロフィールを見た人から「特技を見せて」と言われたときにすぐ披露できるようなものがよく、楽器演奏などよりも自分の体を使って披露できるものが望ましいです。日舞やダンスなど色々考えましたが、その場ですぐ披露できるという観点ですと、歌や歌に近いジャンルが良いのではと考えました。ただ、一般的なポップス歌唱が得意というのでは目立てないので、「周りで誰もやっ てないようなものを探そう!」と思い、邦楽のジャンルを探しました。そこで見つけたのが詩吟だったのです。

思い立ったが吉日、早速家から近い教場を見つけて門を叩きました。どこかの詩吟の先生の娘や孫でもなく、誰かの紹介でもない二十代の女性が突然入会したことで、当時の教場の方々は本当に驚かれていました。その後、念願の特技を手に入れて演劇活動を数年続けていましたが、役者を職業とすることは考えられなかったので、演劇は辞めて詩吟だけが残りました。

大阪では、酔心流星華吟詠会に十年ほどお世話になりました。入会して数年後からは池田哲星宗家の直弟子となり学んでいましたが、生活拠点を東京へ移すことになったため酔心流を退会し、心機一転、東京で海老澤宏升宗家の宏升流宏升会にご縁をいただくことになりました。

そこから日本詩吟選手権大会に出場する機会を頂くようになりましたが、出場初期の頃は、全国大会に選出頂いても最終決戦にはなかなか出られませんでした。その後コロナ禍でコンクールが中止となりましたが、この間にも海老澤宗家の教場に通って多くのご指導を賜り、自分の吟と向き合う時間をたくさん確保することができました。

その甲斐あってか、コロナ禍明けの大会からは全国大会の最終決戦に出られるようになり、コロナ後三回目の挑戦で今回の結果を頂くことができて本当に嬉しく思います。

ですが多くの方々が感じるように、コンクール優勝は決してゴールではないと私も感じています。そして優勝者には「責任が伴う」と思っています。コンクール出場の場合は、舞台で日頃の成果を発揮できてもできなくてもそれは自分だけの事情ですが、優勝した今後は、聴いて下さる皆様から「このような吟士がいる日本詩吟協会に入りたい」と思って頂けるような吟に少しでも近づけるよう、より一層精進する責任が伴うと感じました。まだまだ若輩者ですが、今後とも皆様のご指導ご鞭撻を賜りながら日々精進する所存です。

今回の結果はもちろん海老澤宗家に報告させて頂きましたが、酔心流の池田哲星宗家は昨年逝去せれてしまい、今回の結果を報告することは叶いませんでした。

池田宗家から、以前「何のために詩吟をやっているの」と聞かれたことがあります。そのとき私は、少し考えてこう答えました。「自分の人生を豊かにするためです」と。

詩吟をしていると、嬉しかったり悔しかったり落ち込んだりと色々あります。その色々を経てたどり着いた境地というのは、きっとその人にとってのゴールになり得るのではと思います。また詩吟を楽しむ中で仲間や友人が増えていくのも、その人の人生を豊かに彩るものとなるでしょう。私もこれからの自分の人生を豊かなものにできるよう、いつも感謝の気持ちを忘れずにいつまでも詩吟を楽しんでいけたらと思っております。

最後になりますが、素晴らしい賞と共に今回の寄稿の機会も頂き、本当にありがとうございました。

岩田 裕美

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